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2015年9月 9日 (水)

修学院離宮奉加帳の展示

昨日も触れたように、現在、修学院離宮奉加帳を展示しています。
そこには、吉川英治が戦中から終戦、そして戦後にかけての、戦争に関する感慨を詠んだ詩歌を並べて展示しています。
それを見てどう感じるかは、見る人次第ですが、展示を行った私の意図としては、『新・平家物語』を書くに到るまでの心の動きを感じて欲しいと思っています。

また、奉加帳の文章と合わせて味わっていただきたい文章が、以下のものです。

日頃に、厳島の美と価値とが、彼ら武人にも、正しく映じていたことがわかる。一瞬の興亡儚いものの価値と、永遠なものの価値との、優劣をよく知っていた。ただ、敬神というだけのものではない。この地上への大きな愛情でもある。
(略)
どうしても、戦争を持たなければならない地球であり人類ならば、世界中の航空基地以上の数の厳島地域が欲しいものだが――などと心で呟いてみる。
が、厳島ほどな“美”をぼくらの世間で創造できるだろうか。それは出来もしない。
美も創れない。戦争の心配も止められない。それをリシエの人間論も、恐いことだと云いぬくのだ。「――理性をもっていて、非理性的であることは、推理の能力を欠くことよりも、もっと重大である」と。(略)
広島の灯は、またたいている。あの無数な光のまたたきは、何を哭くのか。でなければ、希望しているのか。もう、ふたたびは、暗くしてはならないとしているあの地上。生命の確証。美しい、しかし、何かまだ怯えをとりきれていない夜空の眩さにも見える。ぼくの旅人的な感傷のせいだろうか。
(「随筆新平家」所収「新・平家今昔紀行」中の「宮島の巻」より)

この文章は、以前にもこのブログで取り上げたことがありますが、その時よりも長めに引用してみました。

この文章の背景については、以前のブログをご参照ください。

戦後70年に合わせた展示は特に考えていませんでしたが、この修学院離宮奉加帳の展示は、ささやかながら、それに該当するものになりました。

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