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2016年4月13日 (水)

ふたつでひとつ

最近見たCMにこんなものがありました。

「子供には色々経験させたくて」という劇団ひとりに対して、ビートたけしが「それも良いけど、ひとつのことを極めるっていうのも良いんじゃねえか」と応じる、というものです。

私には、まず色々経験させて、その中から極めるべき何かを本人に見つけさせればいいのではないか、だから、これはそもそも対置するようなものではないのではないか、と思えます。
まだ、自己も確立できていない子供の時から極めるべきひとつのことなど、見つけようもないと思えるのですが。

日本人には、こうした≪ひとつの道≫というのが受け入れられ易いと見て、こうしたCMを制作しているのでしょう。
しかし、その結果が、昨年来続いている、スポーツ選手による賭博の問題に通じているような気がします。

吉川英治は「宮本武蔵」の中で、千年杉に吊るした“たけぞう”に対して沢庵にこう語らせています。

おぬしには生れながらの腕力と剛気はあるが、学問がない、武道の悪いところだけを学んで、智徳を磨こうとしなかった。文武二道というが、二道とは、ふた道と読むのではない。ふたつを備えて、一つ道だよ。――わかるか、武蔵

また、戦時中に刊行された「南方紀行」の中で、インドネシアにおける日本の軍政に対して、こう苦言を呈しています。

スラバヤ市庁の前にあるのを日本橋とよぶのはまづよいとしても、スラバヤ駅の次が品川駅で、その次の駅が大森などとしてあるのは、たとひ仮称にせよすこし困る。文弱のわれらが持ちたいものは武人の気魄であり、武人にもありたいものは、多少を問はず文雅のたしなみではないかと思ふ。

ちなみに、前者は宮本武蔵の「五輪書」に原型がありますが、「五輪書」にはこうも書かれています(口語訳は「決定版 宮本武蔵全書」〔松延市次・松井健二監修 平成15年 弓立社〕のもの)。

むかしから、十能七芸というものがあり、それぞれに利があるわけだが、利があるというからには、剣術だけで良いわけがない。剣術だけの利得では、剣術を知っていることにはならない。もちろん、兵法とも言えない。(地の巻)

ひとつのことを極めるには、むしろ、色々なことを知るべきなのだということでしょう。

別に、何かを極めようというわけではない私がこんなことを言っても、誰にも響かないでしょうが。

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