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2016年6月 7日 (火)

浜っ子

井上章一氏の「京都ぎらい」が評判になっています。

私も京都市で生まれましたが、物心つく前から京都市の隣市で育ち、大学進学で京都を離れたので、井上氏が指摘するような洛中人の差別意識に接する機会はありませんでした。
しかし、そもそも京都市民でもない私自身の中にも、そうした意識は根付いていたりもします。

ケンミンの登場する人気テレビ番組で、伏見区出身の俳優が京都人代表のような顔でコメントしているのを見ると、「伏見なのに?」という気持ちになります。
ましてや、宇治市あたりの出身のタレントが、「はんなり」なんて口にすると、「どの口で」と思います。

そして、そんな自分にうんざりします。

さて、先週末、横浜で文学散歩を実施しました。
その準備のために、横浜出身の野尻抱影の文章を読んでいたところ、こんな描写にぶつかりました。

同じ横浜生まれでも、関外もはずれの太田赤門で、“浜っ子”と言うには少し気がひける。(随筆集「鶴の舞」より)

今回の文学散歩は「吉川英治 横浜との別れ」と題して、吉川英治が横浜時代の後半に暮らした3軒の家をめぐりました。
そのうちの1軒が<清水町の家>です。
清水町は、現在の住所では横浜市中区赤門町となります。

そのすぐ近所、横浜市中区英町に、野尻抱影・大佛次郎兄弟の生家がありました。
京急本線黄金町駅の近くで、大岡川を越えたらすぐに伊勢佐木町がある、そんな地域です。

横浜にゆかりのない私からすれば横浜の中心部としか思えない、そんなところで生まれ育った人が、“浜っ子”と言うには気がひけるということは、明治時代の人にとっての“ハマ”というのは、かなり限定された地域の事だったのでしょう。

洛中人のような意識を持った、真の“浜っ子”というものが存在しているのかどうか、わかりませんが。

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