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2016年7月26日 (火)

GO

ポケモンGOが人気ですね。

しかし、あれは、どういうシステムでポケモンを出現させているのでしょうか。

ポケモンGOの日本での配信が始まってから、昨日、初めて都心に出かけたのですが、気になる場面がありました。

交差点でポケモンをゲットしようとしている人がいたので、肩越しに覗いてみたら、横断歩道上にポケモンが飛んでいました。
その時、信号は赤。
夢中になった子供が、そこに飛び出したら、どうなるのでしょうか。

渋谷の円山町と言えばラブホテル街で有名ですが、そこのラブホ前でゲットしてる人もいました。
ラブホからどんなポケモンが出て来たんでしょうねぇ(笑)
エンコーとか、フリンとか、コンド(自粛)

ポケモンは画面上のバーチャルな存在ですが、実際にその場所へ人が行くわけですから、それは現実世界の出来事です。
その場所の管理者や所有者に許可なく、ポケモンを発生させていいのでしょうか。
逆に、その場所のポケモンをゲットしたければ、金を払えとその場所の管理者が主張したら、どうするつもりなのでしょう?

出雲大社などが、ポケモンGO禁止を宣言していますが、そもそも運営会社が先に許可を取るなどして、出現する場所をある程度決めておくべきなのではないのでしょうか?

道路上には出現させないとか、一般に公開されていない私有地には出現させないとか、原則は必要だと思うのですが。

ストリートビューも、許可なく公開して、映し出されるのがイヤならそう言え、というスタンスですが、まだ、公益性があるから許せます。
ポケモンGOはただのゲームですからね。

私はガラケーユーザーなので、記念館にポケモンが発生するのかどうか、確認できずにいます。

今は休館中ですが、9月に開館した時、どうなるのか。
これから1ヶ月余りで、事態がどう推移するのか、注目しています。

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2016年7月17日 (日)

『台湾日日新報』(4)

さて、最後に残したうちの(2)は「江戸城心中」を改題して再録したものです。

やはり地方紙に掲載された作品で、日本本土では『河北新報』(昭和5年9月1日~6年5月9日)に「江戸城心中」として掲載される一方、『北海タイムズ』には「恋愛三世相」、『新愛知』には「悲願四目菱」の別タイトルで連載されています。

さて、最後に(1)を残しましたが、これが注目すべきものでした。
確認の結果、これは吉川英治の初めての新聞小説「親鸞記」を改題して再録したものだったのです。

吉川英治は、大正12年の関東大震災に被災したことをきっかけとして、仕事を辞めて作家活動に専念することになります。
それまで小説については、アマチュアの投稿家として、懸賞に応募したりしているにすぎませんでした。

ただ、「親鸞記」については、少し事情が異なります。

「親鸞記」は、吉川英治が記者として勤務していた『東京毎夕新聞』紙上に、社命により連載(大正11年4月開始日不明~11月22日)した作品です。
吉川作品で、初めて単行本化(大正12年1月)された作品でもありますが、まだ<吉川英治>のペンネームを名乗る前のことで、著者名は本名の<吉川英次>となっています。

そんなこともあって、この最初の単行本化の後は、ずっと本になっておらず、一度だけ「吉川英治全集補巻1 坂東侠客陣」(昭和45年8月 講談社)に掲載されたことがあるだけです。

そんな、幻とも言うべき作品が、一体どんな経緯で台湾で連載されたのでしょうか。

『台湾日日新報』に連載された昭和2年当時、吉川英治は、すでに「剣難女難」「神州天馬侠」「鳴門秘帖」などの作品で人気作家となっていました。
当然、執筆依頼が殺到して多忙となっていたはずですが、それでも穴埋めのために自ら再録を提案したとは思えません。

むしろ、売れっ子として原稿を取りにくくなってきていたであろう吉川英治に対して、作家以前の吉川英治を知る人物が再録を持ちかけたのではないでしょうか。

しかし、それが誰なのか、今のところ解明できていません。

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2016年7月16日 (土)

『台湾日日新報』(3)

(5)(6)は、タイトルで分かるように、両者合わせて「三国志」です。

「三国志」が、「親鸞」のように間を空けずに連続して掲載されながら、タイトルが途中で変更されたのは、当時の事情が関係しているようです。
当時、国家総動員体制下で新聞統制が行われ、一県一紙を原則として新聞の統廃合が行われました。その完成期は昭和17年でした。

「三国志」の掲載紙の代表は、現在の『日本経済新聞』の前身である『中外商業新報』でしたが、この『中外商業新報』は昭和17年11月1日付をもって、『日本工業』『経済時事』の二紙と合併して『日本産業経済』に改題されました。
「三国志」は『中外商業新報』から『日本産業経済』にまたがって昭和14年8月26日~18年9月5日に連載されましたが、『中外商業新報』では「三国志」だったものを、『日本産業経済』では「新編 三国志」と改題し、昭和17年11月1日を第1回として、改めて回数表示されるようになります。
時期はずれますが、『台湾日日新報』の方のタイトル変更も、それと一致しています。

ちなみに、「三国志」もまた、「親鸞」同様に他の地方紙に掲載されていました。
しかし、その対応は上記とは異なります。

『名古屋新聞』の場合は、『新愛知』と合併して昭和17年9月1日から『中部日本新聞』となったことに伴い「三国志」は8月30日付までで連載打ち切りになっています。

同様に、『小樽新聞』では、北海道内11紙が統合されて昭和17年11月1日から『北海道新聞』となったことに伴い、10月31日付までで掲載終了しています。

ちょっと面白かったのは、『北海道新聞』には、白井喬二の「瑞穂太平記」という作品が掲載されていたことです。
統合初日の昭和17年11月1日に「今迄の梗概」が掲載され、11月3日~12月10日まで連載されました。
どうやら統合された11紙のうちのどれかに連載中だったこの作品を、完結目前だったので、統合後もそのまま引き続き掲載したもののようです(私の目的からは外れるので、この作品が元々はどの新聞に連載されていたのかは調べませんでした)。

統合された11紙にはそれぞれ連載中の小説があったはずですが、吉川英治ははじかれて、白井喬二が残った、その理由は残りの掲載予定期間の問題なのか、どうか。

どんな判断があったのでしょうね。

一方、『中部日本新聞』では、吉川英治の「三国志」が8月30日に打ち切られた後に、9月2日から白井喬二の「戦国志」の連載が始まっています。

『名古屋新聞』から『中部日本新聞』へと、継続して購読した読者は目を疑ったんじゃないでしょうか。
調査している私も、目が点になりました。

なにも、こんなタイトルの作品を掲載しなくても(笑)

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2016年7月15日 (金)

『台湾日日新報』(2)

一旦(1)(2)を飛ばして、(3)(4)から見てみます。

実は、(3)と(4)を合わせたものが、「親鸞」に該当します。

今まで調査不足で、「親鸞」が連載時に前編と後編に分かれていて、それも半年近くの間を空けて掲載されていたことに気づいていませんでした。
慌てて、日本本土での掲載紙である『名古屋新聞』を調べ直したところ、『台湾日日新報』とほぼ同時期に「親鸞聖人」「親鸞聖人 後編」として前後編に分けて掲載されていたことが確認できました。

ちなみに、作品のタイトルは単行本化に際して「親鸞聖人」から「親鸞」に改題されています。

当館には切り抜きが一部保存されているだけであったため、『台湾日日新報』での連載は、全体として「紙衣祖師」のタイトルで掲載されたものと思っていましたので、これも驚きでした。

「親鸞」の掲載紙の代表は『名古屋新聞』ですが、それ以外にもいくつかの地方紙に掲載されています。
例えば、当時、朝鮮半島の京城(現在のソウル)で発行されていた『京城日報』では、前編は「親鸞聖人」としながら、後編には別のタイトルが付されているという、『台湾日日新報』と同じパターンなのですが、そのタイトルは「愚禿頭巾」となっていました。
一方、『神戸新聞』では、なぜか前編の掲載が確認できず、後編のみが「愚禿親鸞」として連載されています。

なお、面白いのは、後編の掲載開始日です。

『名古屋新聞』が昭和11年1月19日なのに対して、『神戸新聞』は1月5日、『台湾日日新報』は1月7日、『京城日報』は1月10日で、『名古屋新聞』が著しく遅いのです。

これは推測ですが、直前に連載されていた藤井真澄「元寇」という作品が予定通りに完結しなかったのではないでしょうか。

配布地域が重ならないとはいえ、担当者はやきもきしたでしょうね。

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2016年7月14日 (木)

『台湾日日新報』(1)

個人的な理由から『台湾日日新報』を調べていました。

『台湾日日新報』は、日本統治下の台湾で発行されていた日本語新聞です。

個人的な調査が済んだところで、この機会に『台湾日日新報』と吉川英治について調べ直してみようと思い立ちました。

というのも、吉川英治の作品では「親鸞」と「三国志」が『台湾日日新報』に掲載されていたことはわかっているのですが、当館には紙面の切抜きが一部あるだけで、正確な掲載期間が不明のままだったからです。
それと、『台湾日日新報』について調べている際に、「『台湾日日新報』近代文学関係作品目録 昭和編(1926-1944)」(中島利郎・横路啓子編 2014年2月 緑蔭書房)という資料が存在していることが分かったこともあります。

つまり、非常に好都合な他人のふんどしが存在することを知ったのですね(笑)

さて、この資料に基づき、実際の紙面を確認してみたところ、以下の作品が掲載されていたことがわかりました。

1)「受難菩薩(別名「親鸞」)」(148回)昭和2年3月12日~8月7日(夕刊)

2)「享保悲恋 一眼鬼」(182回)昭和5年9月6日~昭和6年5月20日(夕刊)

3)「親鸞聖人」(292回)昭和9年9月30日~昭和10年8月12日(夕刊)

4)「紙衣祖師」(173回)昭和11年1月7日~8月4日(夕刊)

5)「三国志」(950回)昭和14年8月25日~昭和18年1月17日

6)「後三国志」(244回)昭和18年1月19日~11月5日

これらについて、色々と興味深い点があったので、それをそれぞれ細かく見ていこうと思います。

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