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2016年7月16日 (土)

『台湾日日新報』(3)

(5)(6)は、タイトルで分かるように、両者合わせて「三国志」です。

「三国志」が、「親鸞」のように間を空けずに連続して掲載されながら、タイトルが途中で変更されたのは、当時の事情が関係しているようです。
当時、国家総動員体制下で新聞統制が行われ、一県一紙を原則として新聞の統廃合が行われました。その完成期は昭和17年でした。

「三国志」の掲載紙の代表は、現在の『日本経済新聞』の前身である『中外商業新報』でしたが、この『中外商業新報』は昭和17年11月1日付をもって、『日本工業』『経済時事』の二紙と合併して『日本産業経済』に改題されました。
「三国志」は『中外商業新報』から『日本産業経済』にまたがって昭和14年8月26日~18年9月5日に連載されましたが、『中外商業新報』では「三国志」だったものを、『日本産業経済』では「新編 三国志」と改題し、昭和17年11月1日を第1回として、改めて回数表示されるようになります。
時期はずれますが、『台湾日日新報』の方のタイトル変更も、それと一致しています。

ちなみに、「三国志」もまた、「親鸞」同様に他の地方紙に掲載されていました。
しかし、その対応は上記とは異なります。

『名古屋新聞』の場合は、『新愛知』と合併して昭和17年9月1日から『中部日本新聞』となったことに伴い「三国志」は8月30日付までで連載打ち切りになっています。

同様に、『小樽新聞』では、北海道内11紙が統合されて昭和17年11月1日から『北海道新聞』となったことに伴い、10月31日付までで掲載終了しています。

ちょっと面白かったのは、『北海道新聞』には、白井喬二の「瑞穂太平記」という作品が掲載されていたことです。
統合初日の昭和17年11月1日に「今迄の梗概」が掲載され、11月3日~12月10日まで連載されました。
どうやら統合された11紙のうちのどれかに連載中だったこの作品を、完結目前だったので、統合後もそのまま引き続き掲載したもののようです(私の目的からは外れるので、この作品が元々はどの新聞に連載されていたのかは調べませんでした)。

統合された11紙にはそれぞれ連載中の小説があったはずですが、吉川英治ははじかれて、白井喬二が残った、その理由は残りの掲載予定期間の問題なのか、どうか。

どんな判断があったのでしょうね。

一方、『中部日本新聞』では、吉川英治の「三国志」が8月30日に打ち切られた後に、9月2日から白井喬二の「戦国志」の連載が始まっています。

『名古屋新聞』から『中部日本新聞』へと、継続して購読した読者は目を疑ったんじゃないでしょうか。
調査している私も、目が点になりました。

なにも、こんなタイトルの作品を掲載しなくても(笑)

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