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2016年9月27日 (火)

博物館の建物

最近、あまり更新していないので、以前途中まで書いたものの、アップするタイミングを逃した文章をお蔵出ししてみます。

博物館業界の専門誌『博物館研究』の48巻 2号(2013年2月)の特集は「博物館の建物」でした。

特集には5つの論考が掲載されていますが、私が一番うなずいたのは大原一興氏(横浜国立大学大学院都市イノベーション研究院教授)の「博物館建築とユーザー参加のデザイン」でした。
この論考では現場の学芸員が博物館の建築について抱く不満を広く汲み上げています。

そうした不満の根源は、つまるところ、学芸員と建築家では博物館に対する認識が食い違っているということなのでしょう。

学芸員の立場からすると、博物館における重要性は

収蔵庫(および作業・研究スペース)>展示空間>付帯施設(ショップやカフェ、集会室、講義室など)>外観(デザインコンセプト)

ということになります。
所蔵する資料を、未来に向けて保存管理するのが、やはり最重要事項なのです。

しかし、建築家にとっては

外観>展示空間>付帯施設>収蔵庫

となってしまっているのではないか、ということです。

学芸員にとっては実用性こそが最重要なのですが、建築家にとっては“作品”としてのコンセプトこそが重要なのでしょう。

それが高じると、「ここの壁には何も掲示してはいけない」とか「このスペースには展示をしてはいけない」「ここにはこのように展示すべきだ」というような形で、本来は学芸員が必要に応じて決めるはずの“中身”に対して、建築家が介入してくる、制限を加える、という事態に陥ります。

聞いた話では、ある著名な建築家は、学芸員がその建築家の介入に異を唱えると、その博物館の設置自治体の長に直談判して、上意下達で自分の意思を通すのだとか。

公立の博物館においては、それを設置する行政側が、博物館を都市計画におけるランドマークにしたいという願望を持っており、それが、自分が設計した建物を“作品”化したい建築家の願望と親和性が高いという側面があるので、そうしたことが可能なのでしょう。

とは言え、建築家側の願望と学芸員側の願望は、必ずしも相容れないものではないはずです。

それがうまくかみ合わないのは、上記の大原氏の文中にある

設計者は自らの経験としての、エンドユーザーたる来館者としての視点に頼りきって、博物館ユーザーとして毎日従事する学芸員はじめ博物館スタッフの視点を勉強していないことが、不満を生み出しつづけているのである。

ということに尽きるでしょう。

「博物館のことぐらい、私はよくわかっている」という思い込みが、建築家から学芸員の意見に耳を傾ける謙虚さを奪ってしまう、というわけです。

私は不勉強でよく知りませんでしたが、大原氏の論考によると1960年代から、建築学においては「使われ方研究」というものがあり、学芸員側の不満を抽出する努力はなされているようです。
それが未だに実を結ばず、いまさらこうした論考が書かれるという状況というのは、何に原因があるのか。

不思議なことです。

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