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2016年10月 3日 (月)

最初の妻・赤沢やす

東京に出てきて、すぐに川柳家・井上剣花坊の柳樽寺川柳会の同人となった吉川英治は、川柳の世界に多くの友人を得ます。
そのうちの一人の親戚が吉原の分武蔵という待合を経営していたため、英治はその店に川柳仲間たちとよく集まって、遊んでいました。

そこに芸妓として出ていたのが赤沢やすで、江戸の畳職人の娘でした。英治26歳頃、やす22歳頃のことです。
小粋で気風が良く、英治曰く「目のさめそうにきれい」な女性であったやすと英治は、すぐに魅かれあい付き合い始めます。
当時の英治は、輸出用の金属象嵌製品の製造販売を行っていましたが、第一次世界大戦後の不況で苦境に立たされていました。
そんな英治を、やすは経済的にも支えました。

やすが日本が租借していた大連へ出稼ぎに行き、英治自身も商売上の苦境を打開するため、やすの後を追って大連に出かけるということもありました。

やすは英治の母・いくにも気に入られ、弟・妹たちには慕われていましたが、二人が正式に入籍したのは両親死後の大正12年8月8日でした。

それから1ヶ月と経たずに、関東大震災が発生。
それを契機に、文学の意義深さを感じた吉川英治は作家となります。

しかし、それとともに、二人の間はぎくしゃくし始めます。
作家として精進を目指すと同時に、やすにも文化的な向上心を期待する英治と、水商売的な気質の抜けないやす。
そこに生まれた溝を埋めるために、子供のいなかった二人は養子を迎えるなどの努力をしましたが、それも限界となり、昭和12年に離婚することとなります。

(これは現在開催中の特集「吉川英治の恋」の解説です)

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