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2016年10月 6日 (木)

吉川英治のもう一つの初恋

昨日までの4項目で、今回の特集「吉川英治の恋」は構成されているのですが、初恋については、先日ご紹介したのとは別の話を自叙伝「忘れ残りの記」以外の場所で、書いています。

『文藝春秋』昭和10年10月号に掲載された「女」という随筆(「草思堂随筆」所収)には、小学生時代の初恋が書かれています。
それではあまりに色気がない話なので、今回はスルーしたのですが、それは要約すると、こんな話です。

当時、数多く発行されていた読者投稿を主体とした文芸誌に、吉川英治は小学生ながら作文を投稿し、当選した。
その同じ雑誌に、近所に住む、同じ学校に通う女生徒も投稿していて、入選しているのを発見した。
彼女の作文を読んで、その女生徒が好きになり、用もないのに彼女の家の前を通ったりした。

私にも、同じような記憶があります。誰しも通る幼い恋の1ページでしょう。
しかし、吉川英治のこの初恋は、その後の境遇によって、かき消されてしまいます。

父親の事業上のトラブルから、家が傾き、小学校も卒業できないまま働きに出た吉川英治は、

友達がみんな中学へ入る頃、僕は職工服を着たり草履をはいたりしていたので、以前のように好きな女生徒の家の前は遠廻りをしても通らないようにしていたが、意地わるく、女学校の往復によく出会う。あわてて僕は横丁へかくれるのだった。それ以後は、恋愛に対して、自分は、卑屈になっていたようである。

そして、こう書いています。

僕には恋愛らしい恋愛はない。青春とよぶような時代には、惨憺たる一家の計を負っていたから、恋愛をしている暇がなく通ってしまったし、その責任を果たしかけてどうかなりかけると、今の文学の方へ、わき眼もふらないで入ってしまったからである。

しかし、これが最初の妻・やすとの婚姻中の昭和10年に書かれていることを思うと、ちょっとどうなのかという気にもなります。
やすにすれば、私は何なんだという話ですよね。
既に夫婦としては破綻していたとは言え。

そして、再婚する池戸文子と出会うのは、この頃のこと。
そうなると、文子との交際は、吉川英治にとっては初めての恋愛らしい恋愛ということになるのでしょうか。

ちなみに、昨日の文章では触れなかったので、念のため書いておきますが、吉川英治は明治25年(1892)生まれで、昭和10年(1935)には43歳。
池戸文子は大正9年(1920)生まれで、昭和10年には15歳です。

果たせなかった初恋をやり直しているような気持ちだったのでしょうか。

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