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2016年10月 4日 (火)

逃避行

妻・やすとの関係が最悪であった昭和5年。
この頃の英治は、文壇でも“恐妻家”として有名になっていました。

そんな時、英治は自ら随筆にも書いたひとつの事件を起こします。“津の守芸者”との1年にわたる“逃避行”です。

英治の書くところによれば、こうなります。

ある夜、英治が飲み過ぎて、酔い覚ましの休憩のために四谷の待合に立ち寄った際、なじみの芸妓に家まで車で送ってもらったものを、やすに見咎められます。
やすのいつまでも続く叱責と癇癪に耐えかねた英治は、自宅での執筆活動をあきらめ、やすと距離を置くために家出をし、各地の旅館を転々としながら執筆活動をすることを選びます。
そこに、この騒動の原因は自分であると思い込んだ芸妓が押し掛けてきたため、そのままズルズルと行動を共にすることになりました。

問題の芸妓は店での名は一郎、本名は菊池慶子と言いました。

この逃避行に関わる書簡が英治の川柳家時代の兄貴分で、信頼を寄せていた正木十千棒の元に残っていました。英治は、この逃避行の際、出版社や家族との連絡を正木に頼んでいたため、残ったものです。

書簡によると、原稿料の受け渡しを菊池慶子に任せるなど、英治が身の回りのことについて、彼女をあてにしていた部分が伺えます。
その一方で、文学のためにやすと距離を置いたつもりが、別の女性を招き入れてしまったことに対して

茨の花曲がった道も茨の花

と自虐するような句を書いています。

結局、英治は、およそ一年後に自宅に戻り、菊池慶子との関係は、ごたついたものの、解消されます。

(これは現在開催中の特集「吉川英治の恋」の解説です)

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