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2018年3月11日 (日)

震災と梅

吉川英治の句に、こんなものがあります。

咲く日だけおもひ出されて町の梅
町中の梅咲く日だけ見られけり

いずれも、花が咲いていない時の梅の木には誰も注意を払わないが、花が咲くと急にそこに梅の木があったことを思い出し、その時だけ梅を愛でる、という様子を詠んだものです。
梅に限らず、桜や様々な人気のある草花なども同じでしょう。

普段からすぐそこにあるものでも、耳目をひきつける何かがなければ、人は存在を忘れがちです。

私自身を考えてみても、7年前の今日起ったことを、そしてその直後の混乱を、いま、思い出すことはほとんどありません。
毎年、「3月11日」になると、「ああ、そうだった」と思い出し、翌日からまた忘れてしまいます。

まだ当事者の苦しみや、困難が解消されたわけでもないのに。

梅は比較的手入れの簡単な木ですが、それでも毎年、肥料を与え、伸びた枝を剪定し、害虫を駆除したりしなければなりません。
そうしなければ美しい花も、立派な実もつきません。

その日だけ思い出す『年中行事』にしてしまわず、普段から、心のどこかに置いておきたいものだと思います。


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