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2018年4月 7日 (土)

足利紀行―その2

次に鑁阿寺に移動しました。

吉川英治は「筆間茶話」で、

まず鑁阿寺を訪ねた。足利市の街中である。濠は旧態をのこしているが、古図に見える林泉や大杉は面影もない。多宝塔そのほかの諸堂も荒れている。住職山越氏の住む階上に、国宝の宋窯花瓶やら尊氏自筆の古文書などが、からくも無事をえている有様だった。

と、当時の様子を描写しています。
「筆間茶話」では、この後に住職の言葉が語られますが、それは要するに、明治維新後、日本を支配した皇国史観の中では、足利尊氏は逆賊と扱われたため、中央政府から保護を受ける機会がなかったということです。
文中にはありませんが、この時、吉川英治は鑁阿寺に、

雪山春不遠

との書を残していきました。

その鑁阿寺での写真はこんなものです。

580221_2

窓の形から、経堂であろうと思われます。

P4022298

私が訪ねた時は、ちょうど桜が満開で、吉川英治が感じたような荒廃は見えませんでした。

P4022284

P4022303

P4022311

さて、次に訪ねた場所がここです。

580221_11

写真の裏には「足利市展望台から足利の地勢を見る」とあります。

580221_10

写真に写っている石碑には、2枚の写真から「聖上御展望之處」とあるのがわかります。
つまり、天皇が周囲を眺めた場所、ということになります。それも、おそらくは昭和天皇が。

ここはどこでしょうか?

足利市に昭和天皇がいつ何のために行幸したのか。
それは昭和9年に行われた陸軍特別大演習です。
昭和9年11月に北関東で大規模な軍事演習が行われ、その後、群馬県・栃木県の主要都市に行幸しています。
これを記録した「行幸記念写真帖」(昭和9年12月30日 立見屋)の中に、「足利市水道配水池ヨリ市中御展望」という写真が掲載されています。

この場所はどこなのか。
それは水道山記念館のある緑町配水場です。

通常非公開となっているため、敷地内には入れませんでしたが、柵越しに問題の石碑と思われるものが見えました。

P4022355

あのあたりに昭和天皇が立ち、そして吉川英治も立っていたわけです。

感動しました。

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