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2018年4月 6日 (金)

足利紀行―その1

今週初めに、群馬・栃木県境あたりに私用で出かけたので、そのついでに足利市を訪ねてきました。
その目的は、吉川英治が訪れた場所を訪ねることです。

吉川英治は、「私本太平記」の連載開始(『毎日新聞』昭和33年1月18日から)直後の昭和33年2月21日に、足利の視察に出かけています。
新聞連載の合間に挟み込んだ「筆間茶話」という随想の昭和33年3月3日掲載分で、足利市内の鑁阿寺、足利学校、白石山房に立ち寄り、桐生・太田をまわって帰宅したことが書かれています。

そこにも書かれていますが、これは日帰りの旅でした。
秘書の残した業務日誌によると、「午前八時、毎日新聞社の車で足利視察に出発。文子夫人、杉本健吉、松本昭(注:毎日新聞社の担当編集者)同行。午後六時過帰宅。」とあります。
高速道路もなく、未舗装道路も多かった当時、片道3~4時間を要したのではないかと推測すると、足利市内の滞在時間はほんの3時間程度だったことになります。

その時に撮影された写真が残っているのですが、その内容から見て、上記の3ヶ所の他にあと2ヶ所に立ち寄っているらしいことがわかります。後日ご紹介しますが、1ヶ所はとても有名なあの場所、もう1か所は、今回色々と調べて見つけました。
5ヶ所立寄ったとすると、移動時間を考えれば、1ヶ所に20~30分程度の滞在だったことになります。

その5ヶ所を巡ってみようというのが、今回の目的です。

吉川英治がまず訪ねたのは鑁阿寺ですが、私は両毛線足利駅から向かったので、まず足利学校に立ち寄ります。

足利学校は平成2年に、建物や庭園を江戸時代中期の姿に復元しました。
実は、その翌平成3年に放送されたのが、吉川英治原作の大河ドラマ「太平記」でした。
絶妙なタイミングですが、足利学校の保存整備事業は昭和56年に着手されているので、偶然でしょう(何か足利市からの働きかけはあったかもしれませんが)。

当然、吉川英治が訪れた時と現在では建物が変ってしまっています。

そこで、足利学校の職員の方に声をおかけしたところ、所長の大澤伸啓氏にご対応いただきました。

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まずこの写真ですが、写っているのは「字降松」で、背後の建物は当時この場所に存在した東小学校の校舎であろうとのこと。
足利学校のパンフレットの年表によると、足利学校の建物の一部が明治6年に小学校となり、明治9年に小学校の校舎が新設されています。

P4022268

こちらは現在の「字降松」。実はもう何代目だかの松で、吉川英治が見たものとは違う木になっているとのこと。

「筆間茶話」には

足利学校の訪う人もない庭梅と、宋版の国宝古書籍の真新しさなどは忘れがたい。昔、文盲の領民が、なにか読めない文字があると、紙キレにに書いて、門前の小松に結いつけておき、翌朝を待つと、それにフリ仮名と解釈が付いていたという言い伝えのある“字降松”はホホ笑ましい。以て当時の学校なるものの在り方も、よく読める

と書いています。

先程の写真の背景が東小学校ならば、この写真もそうではないかと、私は推測しますが、こちらについては断言はされませんでした。

580221_4


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