2018年10月13日 (土)

イノシシ

本日、午前10時30分頃に、記念館の庭園内にイノシシが出現しました。

最近、朝出勤すると動物のフンが庭内のあちらこちらに落ちていることがしばしばだったので、イノシシが来てるんじゃないかと疑っていましたが、よもや白昼堂々と出現するとは。

来館者に何かあってはいけないので、市役所に電話をしたところ、地元の猟友会に連絡をしてくれました。
猟友会の会員が来てくれることになったのですが、その間に、たまたま作業に入っていた植木屋が、うまく庭外に追い出してくれました。

そのタイミングで、本日最初の来館者が。

「さっきイノシシが出たので気を付けてください」などと声をかけていたら、ガサッと音がしたので、振り向くと、イノシシが舞い戻っていました。
お客さんには屋内に入ってもらい、さてどうしようと思っているところへ猟友会の会員が到着。

追い出しても戻ってくるようでは仕方がないので、やむなく庭内で射殺することになりました。

3歳くらいの牝でした。
子供を産んでいたら、その子供がまた侵入する可能性があるとか。

むやみに殺したくはないので、そうはならないといいのですが。

イノシシそのものが増加しているということが背景にあるのでしょうが、今回のことの原因のひとつは、記念館が営業を縮小したこともあるのだろうと思います。

年に6ヶ月間、しかもそのうち金・土・日曜だけの開館という状態で、休館日は植木屋が入っている時以外は、庭園内にはほとんど人の気配がありません。
そして、一旦入り込んでしまえば、逆に人間は入ってこないので、動物としては安心して過ごせるでしょう。

かつての来館者が多くて賑やかだった頃なら、こんなことにはならなかったでしょう。

いろいろと残念な出来事でした。

それにしても、初めて銃の発砲音を生で聴きましたが、驚きますね。

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2018年9月22日 (土)

宝塚

ちょっと暇つぶしに「吉川英治」をエゴサーチ(本人じゃないのに?)していたら、見つけてしまいました。

宝塚歌劇団月組が吉川英治の「宮本武蔵」をやるそうです

吉川英治の作品が“東をどり”になったりしたことはあるので、宝塚歌劇になっても、驚くようなことではないのかもしれませんが、ちょっと想像していなかったので、びっくりしました。

まあ、吉川英治原作と謳っているのは、お通を登場させるための方便なのだろうな、とは思いますが。
「バガボンド」も、そういう側面がありますし。

しかし、佐々木小次郎を女性が演じるのは、アリな感じはしますが、どうでしょうね、宮本武蔵は。

いや、そこがタカラヅカの妙味だとは思いますが。

ちょっと観てみたい気もしますが、色々と間の悪い時期なので、むずかしいかなぁ。

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2018年9月21日 (金)

東京アドベンチャーライン

先日、都心に出掛けようとしたら、JR青梅線が止まっていました。
原因は、電車と鹿が衝突したこと。

自然が豊かであることと表裏一体の、惨事です。

ところで、先日、JR東日本の今年のキャンペーンが「東京アドベンチャー、青梅線。」で、キャッチフレーズは「この夏は水と緑あふれる「青梅線」へ~青梅線に自然を探しに行こう!~」だとご紹介しましたが、なんと、先日、JR東日本が発表したリリースによると、青梅線の青梅―奥多摩間の愛称を「東京アドベンチャーライン」にするのだとか。

併せて、色々なキャンペーンも行われるようなので、この地域の観光に関わって来た者としては、ありがたいと言えば、ありがたい話です。

でも、沿線住民としては、そこじゃない感が。

昼間、電車の本数を45分に1本という間隔に減便したのを、せめて以前の30分に1本にして欲しい、というのが切実な願いです。

しかし、実際には、さらに1時間に1本に減らすという噂も耳にします。

通勤・通学の利用者と、登山などのアウトドアレジャーに出掛ける人が利用する早朝と、その人達が帰宅する夕方以降については充実させるが、昼間は出来るだけ減らすという方針は、博物館・美術館といった、その昼間の時間に人に来て欲しい立場からは、最悪な話です。

とは言え、利用者の多いところに力を入れ、そうでないところからは力を抜くのは、経営としては正しいのでしょうから、まあ、そこは良いとしましょう。

ああ、アーバンパークラインを残念な名称だと思っていたのに、もっと残念な名前になっちゃったよorz

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2018年8月29日 (水)

百年名家

去る8月26日に、BS朝日の「百年名家」に、吉川英治の旧宅として、当館が取り上げられました。
私はあいにく家にテレビがないので、放送は見られませんでしたが、制作会社からDVDが届いたので、さっそく視聴しました。

放送後、何件かお問い合わせの電話があったのですが、それを聞く限り、放送では若干説明不足の部分があったのだろうなと想像はしていました。

その部分をちょっと補足しておきます。

繰り返し美しい梅林の風景が映し出されたので、梅が咲く頃に訪問したいというお問い合わせがありましたが、残念ながら、それはかないません。
というのも、青梅の梅林はプラム・ポックス・ウィルスの発生により、伐採されてしまったからです。

青梅市梅の公園など限られた場所と、農家の梅林については2016年度から、厳格な管理の下、再植樹が始まっていますので、花は咲きますが、まだ樹齢が若いので、かつての姿を取り戻すには、まだ時間がかかります。
また、吉川英治記念館は、庭内に85本あった梅の木をすべて伐採した後、まだ再植樹できる状況に至っていません。

また、番組で紹介された吉川英治邸の中には入れるのか、というお問い合わせもありました。
これは、普段は入ることはできません。
ただし、間もなく開催する「英治忌」には、母屋の座敷でお茶会が開かれますので、その際には座敷に入ることはできます。
また、「旧吉川邸を隅から隅まで見てみよう」というイベントを時々開催しています。
その際には、書斎の中から3階まで、全ての場所を学芸員が案内します。

ちなみに、番組は見ても、番組のサイトまで見る人はなかなかいないかもしれませんが、こんな感じで紹介されてもいます。

ご参照ください。

ちなみに、少し裏話を書くと、撮影日は猛暑で、しかも母屋ではエアコンのある場所が限られているため、出演者の皆さんは大変だったはずです。
そう思ってみてみると、皆さん顔が上気していて、大変さが感じられます。

また、出演者ありの撮影は、こちら都合により午前中だけで撮りました。
しかし、後日、撮り足りない細かい部分の撮影にクルーだけが来たのですが、こちらは1日がかりになりました。
日暮れまでかかってあんなにたくさん撮った映像素材は、どこに消えたんだ(笑)

そして、事前に全体の俯瞰ショットを撮るためにドローンを持参されたのですが、うまく操作できずにドローンが墜落するという場面に遭遇しました。
友人からは、「ドローン撮影より、ドローン墜落の方が珍しいから、貴重な経験じゃない(笑)」と言われました。

確かに(笑)

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2018年7月24日 (火)

40度

かつて、会場を提供する形でかかわっていたアートイベント「アートプログラム青梅」。

最初に関わった時のテーマというかサブタイトルというかが、「温度差7℃」というものでした。
確かこれは、青梅市と東京23区の年間平均気温が、7度違うということからつけられたものでした。
もちろん、青梅市の方が7度低い、という意味です。

それなのに、昨日、東京で観測史上初めて40度を超えたのが、青梅市だというじゃありませんか。

最近、青梅市にはあまりいい話題がないわけですが、ここは「東京一暑い街」として売り出すしかないですな。

いや、冗談ではなく、かつて吉川英治記念館の入館者数が多かった頃とは違い、いまの青梅市はアウトドアレジャーの街です。
多摩川でのラフティング、ボルダリング、軽登山から本格登山まで様々なレベルのハイキングなど、アウトドアでの楽しみには事欠かない街になりました。
JRの今年のキャンペーンも、「東京アドベンチャー、青梅線。」であり、キャッチフレーズは「この夏は水と緑あふれる「青梅線」へ~青梅線に自然を探しに行こう!~」です。

アウトドアレジャーの街であれば、「東京一暑い街」というのはキャッチフレーズになり得ます。

文化施設には、何の足しにもなりませんが。

それ以前に、休館中だけどな。

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2018年4月20日 (金)

文学効能事典

以前から書店で目に入ってはいたもののスルーしていた本を買ってみました。
「文学効能事典 あなたの悩みに効く小説」(2017年6月30日 フィルムアート社)という本です。

スルーしていたのに購入したのは、著者が外国人と気付いたからです(エラ・バーサド/スーザン・エルダキン著 金原瑞人/石田文子訳)。
外国人が日本文学をどう見ているのか、その中で吉川英治をどう見ているのか、というのは、気になるところです。

まず、索引を見てみると、日本人の作品は9作品取り上げられています。

安部公房「砂の女」(広場恐怖症のとき)
遠藤周作「深い河」(悪夢を見るとき)
川端康成「名人」(80歳になったとき)「雪国」(漂泊の思いがやまないとき)
竹山道雄「ビルマの竪琴」(外国人嫌いのとき)
三島由紀夫「豊饒の海」(分厚い本を読む気がしない)
村上春樹「1Q84」(恋愛ができなくなったとき)「ねじまき鳥クロニクル」(無職のとき)
吉川英治「宮本武蔵」(暴力がこわいとき)

( )内が、作品が取り上げられている項目です。
このうち、「分厚い本を読む気がしない」だけは「読書の悩み」という、書中のところどころに差し挟まれているミニコーナーで、そこに「おすすめの大長編小説」として紹介されている7冊のうちの1冊が「豊饒の海」ということになっています。

さて、この9作品のうち、終戦以前の作品は川端康成と吉川英治の3作品のみ。
もちろん、外国語に翻訳されているかどうかということが大きなウェイトを占めますがが、戦前を代表する日本の文学を、川端康成と吉川英治に求める見方もある、ということになりますか。

また、2作品取り上げられているのが川端康成と村上春樹であるということは、著者たちにとっては、この2人が日本を代表する重要作家ということなのでしょう。

「暴力がこわいとき」の中でどのように「宮本武蔵」が取り上げられているかは、実際に読んでみてください。

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2018年3月11日 (日)

震災と梅

吉川英治の句に、こんなものがあります。

咲く日だけおもひ出されて町の梅
町中の梅咲く日だけ見られけり

いずれも、花が咲いていない時の梅の木には誰も注意を払わないが、花が咲くと急にそこに梅の木があったことを思い出し、その時だけ梅を愛でる、という様子を詠んだものです。
梅に限らず、桜や様々な人気のある草花なども同じでしょう。

普段からすぐそこにあるものでも、耳目をひきつける何かがなければ、人は存在を忘れがちです。

私自身を考えてみても、7年前の今日起ったことを、そしてその直後の混乱を、いま、思い出すことはほとんどありません。
毎年、「3月11日」になると、「ああ、そうだった」と思い出し、翌日からまた忘れてしまいます。

まだ当事者の苦しみや、困難が解消されたわけでもないのに。

梅は比較的手入れの簡単な木ですが、それでも毎年、肥料を与え、伸びた枝を剪定し、害虫を駆除したりしなければなりません。
そうしなければ美しい花も、立派な実もつきません。

その日だけ思い出す『年中行事』にしてしまわず、普段から、心のどこかに置いておきたいものだと思います。


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2017年6月21日 (水)

杉本苑子さん

少し日が経ってしまいましたが、杉本苑子さんがお亡くなりになりました。

杉本苑子さんは大正14(1925)年6月26日に、現在の新宿区若松町に生まれ、戦時下に千代田女子専門学校に入学。戦後の昭和22(1947)年に同校を中退して文化学院に入学、24(1949)年に卒業しますが、その卒業論文のテーマは世阿弥でした。
その世阿弥を描いた小説「申楽新記」で、昭和26(1951)年に『サンデー毎日』百万円懸賞小説に佳作入選。
翌27(1952)年には、第42回『サンデー毎日』懸賞小説に「燐の譜」で入選。
これを機に、懸賞小説の選者であった吉川英治に師事することを希望し、その想いを書簡に認め、吉川英治に送ります。
その真摯な気持ちを汲み取った吉川英治は、以後10年間は勉強に専念し、その間は決して作品を商業誌に売らないことを厳命したうえで、彼女の希望を受け入れます。
杉本苑子さんは、吉川英治の言い付けを守り、10年間研鑽に励み、ようやく昭和36(1961)年に「柿の木の下」を『別冊週刊朝日』に発表します。もちろん、吉川英治の紹介によるものです。
そして同年7月、処女短編集「船と将軍」を刊行します。
しかし、翌37(1962)年9月7日、吉川英治は世を去ります。
杉本苑子さんは、その翌38(1963)年に「孤愁の岸」で第48回直木賞を受賞。
以後、時代小説界の第一人者として活躍されました。
昭和53(1978)年には、「滝沢馬琴」で第12回吉川英治文学賞も受賞されています。

私個人は、平成12(2000)年に吉川英治記念館で開催した特別展「太平記をめぐって――杉本苑子と吉川英治」の際に、資料の借用と返却のためにご自宅に伺った時と、この特別展にちなんだ講演会「女性の底力」を東京朝日会館大ホールで開催した際に、お目にかかりました。

吉川英治未亡人の文子夫人とは年齢が近く、親しくされていたのですが、その文子夫人が平成18(2006)年に亡くなった際、館報『草思堂だより』に追悼文をご寄稿いただいた時に電話でお話ししたのが、私にとってはお声を聞いた最後となりました。

その頃から体調を悪くしておられたので、その後どうしておられるか、気になっていたのですが、久しぶりの近況が訃報となってしまいました。

心よりご冥福をお祈りいたします。

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2017年3月11日 (土)

あの日、あの時

あの日のことを思い出してみる。

「地震の後」

深刻な被害などなかった場所で、あの日どうしていたかなど、いまさら誰も伝えないし、振り返りもしない。
その意味ではこんな文章でも書いておいてよかったと思う。

しかし、あの日、いま思えば結構な数の来館者がいた。
その後梅が全伐採され、客足も遠のいた。

まだたった6年しか経っていないのに、様々な意味で、遠い昔のようだ。

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2017年2月27日 (月)

熊本の又八、岡山の又八

熊本県がこんなPR動画を制作したそうです。

「くまもと移住前夜・宮本武蔵」

いきなり登場しますが、本位田又八は吉川英治が創作した人物ですからね(笑)

もう著作権は切れていますが、実在しないことだけはご承知おき下さい。

ちなみに、まだ著作権が切れていなかった頃に、当時の岡山県大原町(現美作市)が、町内を通る智頭急行の駅名を「宮本武蔵」駅にして、駅前に少年時代のたけぞう・お通・又八の銅像を設置したことがありました。
そこで、たけぞうはともかく、お通と又八は吉川英治の創作した人物なので、勝手に作っては困りますという連絡をしたことがあります。

この時は事後承諾することになった上、それがきっかけで武蔵資料館で吉川英治展を開催することにもなりました。

縁は異なものです。

しかし、作品の発表から80年以上経っているのに、武蔵には又八をセットにしないと気が済まない人がいるということは、それだけの影響力が吉川「武蔵」にはあったということです。
すごい。

昨年末、九州新幹線の車内から熊本を景色を眺めましたが、まだ屋根をブルシートで覆った家が散見されました。

動画の最後にもありましたが、復興を祈っています。

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