2014年1月28日 (火)

「ことわり屋」と「にらみ返し」

先週、当館の草思堂落語会で吉川英治の新作落語を演じてくださっている柳家禽太夫さんの出演する落語会があったので、足を運んでみました。

一度くらい、スタッフとしてではなく、純然たる客として禽太夫さんの落語を聴いてみたかったのと、禽太夫さんの演目が「にらみ返し」であったことが、大きな理由です。

吉川英治の新作落語に「ことわり屋」というものがあります。

以前演じてもらった時、これと「にらみ返し」がよく似ていると禽太夫さんから伺ったので、気になっていたのです。

リンク先でも簡単に紹介していますが、「ことわり屋」はこんな作品です。
(ちなみにリンク先では主人公の名前を間違ってます。お恥ずかしい)

無職の頓公は、ご隠居に新商売の≪ことわり屋≫をやってみないかと奨められます。
≪ことわり屋≫とは、要するに、本人に代わって借金その他の断りをして、お代を頂戴するというもの。
これなら元手要らず、身体ひとつあればすぐにも開業できるということで、すっかり乗り気になった頓公は、さっそく「ことわり屋~」と街を流し始めますが、声をかけてくるのはおかしな客ばかりで、ちっとも儲かりません。
そうこうするうちに、気が付けば自宅に戻ってきてしまった頓公。
女房から、家に借金取りが10人も来ていて居座っていると訴えられた頓公、借金なんかすぐに何とかなると自信満々。
「見ろ、一人二円宛にして、十人断りゃ直ぐ二十円になるぢゃねえか」

一方、「にらみ返し」はこんな話です。

時は大晦日。
熊さんが帰宅すると、掛取りに何度も来られてうんざりしていた女房になじられます。
そこへ折悪しくやって来た薪屋の掛取りの「払ってくれるまでここを動かない」という言葉尻を捉えた熊さん、「じゃあ、半年間そこを動くな」と返して、まんまと撃退に成功します。
とは言え、大晦日だけに、まだ掛取りは何人もやってくるはず。
どうしたものかと思案するところへ、表から「借金、言い訳~」という声が。
招き入れてみると、ひとりの男が、1時間2円で代りに掛取りを追い返してくれると言います。
これは幸いと、どうにか2円をこしらえて仕事を依頼すると、この男、煙草をふかしながら、無言で掛取りをにらみつけて追い返してしまいます。
しかし、3人追い返したところで1時間が過ぎてしまいます。
まだまだ掛取りがくるので、時間を追加してくれという熊さんの頼みを断って、男が答えます。
「今度は家の方をにらみ返さねばならん」

なるほど、似ています。

本人に代わって借金の断りをする商売が登場すること、最終的に断る商売をしている者の家の話で落とすところ、なんかが同じです。

その一方で、断る商売をやる人間が主人公である「ことわり屋」に対して、「にらみ返し」では形としては脇役です。
また、「ことわり屋」は断りに成功していませんが、「にらみ返し」は成功しています。

それもそうでしょう、「にらみ返し」は、そのにらみ返す姿が見せ場になっている作品です。
一方、「ことわり屋」は、雑誌に掲載された“読む落語”ですから、にらみ返すのでは話になりません。
そこで奇天烈な依頼内容の方で笑わせようとしているということになるのでしょう。

また、「にらみ返し」は、話の前半と後半で主人公が入れ替わったような印象を受けます。
それは耳で聴く分には苦になりませんが、文章にすると妙な感じです。
「ことわり屋」の方が一貫性があります。

おそらく、吉川英治の頭には「にらみ返し」があったのでしょう。
それを、読む作品として再構成したのが「ことわり屋」と考えればいいのではないでしょうか。

そんなことを考えた一夜でした。

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2013年1月15日 (火)

江戸(2)

ある雑誌のサイトを見ていたら、江戸時代にも今日の「大食い選手権」のようなイベントが存在していたという事が書かれていました。

この江戸時代に行なわれていた「大食い選手権」に材をとった作品があります。

「醤油仏」

日雇い人足を扱っている親方の銅鑼屋の亀の寄子部屋に左次郎という若い男がいた。
それを武家の息子とにらんだ銅鑼亀が事情を聞くと、確かに因州池田家の家臣だという。
六年前、藩の重役から名品の壺の代金として二百両の金を預かって仲間(ちゅうげん)一人を連れて上方へ出た養母が、行方知れずになった。その間に父親が死んだが、この養母の事があって跡目が継げない。金を取り戻すか、せめて仲間の男の首を取らないことには帰藩できない。その養母たちが江戸にいるらしいと聞いて江戸に出てきたが、路銀が尽きて、ここにお世話になっている。
そんな打ち明け話を聞いて、銅鑼亀は協力を申し出る。
一方、その当時流行の大食会の影響で、賭食いなるものが、彼ら人足たちの間でも流行っていた。
そんな中でも名の知られていたのが「醤油賭の伝公」という男で、醤油の賭け飲みをして、いつも掛け金をさらっていく。
銅鑼亀の寄子部屋の連中が、面白がって伝公との賭けに挑むが、負けてしまう。
それで意地になった銅鑼亀の子分たちが再戦を挑むが、また負ける。
だが、その様子を見ていた銅鑼亀が、ある一計を案じ、子分たちにもう一度賭けをするようにとけしかける。
数日後、またしても賭けは伝公の勝ちとなる。
しかし、いつものように賭けの後、人足連中と分かれた伝公は慌てふためく。
銅鑼亀の差し金で、付近の銭湯がどこも休みなのである。
実は、伝公は醤油を飲んだあと、銭湯に入って、体の塩気を抜くことで、体調を保っていたのだ。
銭湯に入れなかった伝公は、ついに悶死してしてしまう。
死ぬとまでは思わなかった銅鑼亀たちが駆けつけると、伝公の死体にすがって泣く女がいた。
聞けば、この二人こそ左次郎の探していた養母と仲間であった。
銅鑼亀はそのことを左次郎に伝えようと部屋に戻るが、なぜか左次郎は姿を消していて、二度と戻らなかった。

『改造』昭和3年5月号が初出の短編小説です。
刊行中の「吉川英治歴史代文庫75 治郎吉格子 名作短編集(一)」に収録されています。

醤油を飲んだ後、熱い風呂に入って、醤油の塩分が対外に排出できるのかどうか、むしろ体内の水分が減って塩分濃度が上りやしないか、いささか不安になりますが、そこはお話ということで。

ちなみに、サイトの記事では「醤油1升8合」を飲んだ記録があるそうですが、伝公は2升8合を飲み干します。
ま、それで死んでしまうわけですが。

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2012年11月14日 (水)

群馬(1)

そんなわけで、作品を紹介してみましょう。

「石を耕す男」

元織田信長の鉄砲方だという出浦大介は、本能寺の変後、秀吉の家臣となるのを嫌って浪人し、自分の売り込み先を求めて、上州中之条にやって来た。
逗留する旅館・鍋屋の主人の話から、売り込むなら岩櫃城の真田信幸と決め、取り次いでくれそうな人物を鍋屋に尋ねる。
一人は乱波者の割田下総だが、これは中之条までの道中でたまたま一緒になった夏萩という娘をめぐって悶着となった人物で、望みは薄い。
もう一人は、その夏萩の父であり、地元の旧家の秋間三郎兵衛で、出浦大介はこちらへの接近を図ることにする。
出浦大介の心には、真田家の家臣となり、夏萩を娶るという願望が芽生えていた。
祭りを利用して夏萩に近づこうとする出浦大介であったが、夏萩に恋慕する割田下総と争いになり、斬られて傷を負ってしまう。
しかし、結果として、それによって出浦大介は秋間家に近づくことができ、一方の割田下総は乱波者に秋間家の娘はやれんと三郎兵衛から一喝され、すごすごと引き下がることになる。
九年後、出浦大介は鉄砲の改良の功により真田信幸の寵臣となり、出浦対馬守と名乗っていた。
そして、夏萩を妻とし、一子・新太郎をもうけていた。
対する割田下総は、乱波者の身分に縛られ、功績を挙げても報われずにいた。
その年、秀吉の小田原攻めに乗じて、真田軍は北条方の大戸城を攻める。
割田下総はおのれの力を見せ付けようと、大戸城に忍び込んで火を放ち、真田軍に勝ちをもたらすが、その独断を叱責され、また乱波者という身分もあって、信幸へのお目見えすら叶わない。
その頃、大戸城の残兵が、真田軍の裏をかいて中之条方面に出現、中之条に妻子を残している出浦対馬守は信幸に討手を願い出て中之条に急ぐが、町は焼き払われ、夏萩は人質として連れ去られていた。
夏萩を連れ去った北条軍を追討することを渋る出浦対馬守を罵倒した割田下総は、単身、北条軍を追い、夏萩を救い出す。
それから二十余年の元和元年。
平和になった世に乱波者の居場所はなく、割田下総は腕のものを言わせて近隣で盗みなどを繰返す厄介者となっていた。
郡奉行となっていた出浦対馬守は、住民からの訴えに、ついに腰を上げ、割田下総を成敗するために配下を連れて彼の家に向う。
自らは手を下さず割田下総の首を取った出浦対馬守が帰宅すると、この成敗になぜか同行しなかった息子の新太郎が旅装しているのに出くわす。
何故来なかったのかという出浦対馬守の叱責に対して、新太郎は「母からあなたの実子でないと打ち明けられた、母は自刃した」と告げ、そのまま出奔してしまうのであった。

初出は『週刊朝日』昭和9年秋季特別号。
最も新しい収録図書は「ふるさと文学館11 群馬」(平成6年 ぎょうせい)です。

割田下総はその身分から世に受け入れられずにいるという側面はあるものの、きわめて粗暴で自堕落で粘着質な男ですし、夏萩はそんな“だめんず”と情を通じてしまう浅はかな女です。
一方の出浦大介は弁舌鮮やかながら小心で侠気に欠ける策士です。

誰一人報われないし、新太郎を除いて誰にも同情し難い、あまり後味の良くない作品です。

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2012年10月18日 (木)

神奈川(3)

しばらく前に、ブログのコメント欄に

松竹映画の「悲恋華」(1950)が吉川先生の原作だそうですが、原作の題名が何というかお分かりでしょうか

との書き込みがありました。

調べたところ、この「悲恋華」という映画の原作は「悲母観音」という作品です。

映画は観ていないのですが、せっかくなので、小説の方をご紹介してみます。

「悲母観音」

時は幕末、上野の戦争の起こる前の年のこと。
盗賊・鶯の伊三は、ドジを踏んで逃げ場のない袋小路に追い詰められてしまった。
運の尽きと覚悟を決めたが、結局命が惜しくなり、袋小路の先にある、お徒士組の深田俊作邸に入り込み、命乞いをする。
俊作の妻・お静は、哀れに思い、伊三を匿う。
おかげで町方をやり過ごした伊三は、お静に礼を述べて立ち去る。
そこへ、寄合いに出ていて不在であった俊作が帰宅する。
そして俊作が見つけたのは、伊三がうっかり落としていった紙入れであった。
お静は先程逃げ込んできた町人を匿ったことを告げるが、この紙入れは町人風情が持つものとは違う、と激昂した俊作は、お静が不義を働いたものと決め付け、まだ、産後20日にもならないお静から赤子を取り上げ、家から追い出してしまう。
やがて、明治の世、西南戦争も4、5年前の話となった頃、深田俊作を名乗る男が横浜の南京街裏で馬車屋の親方をしていた。
ある日、追剥ぎを働いた少年を捕まえた彼は、父親が病気のためつい出来心でやってしまった、という少年を見逃してやる。
その際、少年が落とした雑記帳には「士族深田俊作 長男深田清太郎」と書かれていた。
それを見て、少年の家に駆けつけた親方は、自分はかつてお静に匿われた伊三であること、俊作に追い出されたお静を探し出していままで養ってきたこと、深田俊作の名を名乗っていたのはそうすればいずれ耳に届いて俊作と出会うことが出来るのではないかと考えたからだということなどを、俊作に語る。
長い時を経てお静への誤解を解いた俊作とお静の再会を叶えた伊三は、かつての罪を自首し、俊作が看守を勤める横浜の監獄で模範囚として長く過した。

初出は『オール読物』昭和15年4月号。
また、『小説世界』昭和23年12月号に「町の鶯」と改題されて、掲載されたこともあります。
収録図書で一番新しいものは「吉川英治文庫132 柳生月影抄(短編集8)」(講談社 昭和51年)です。

作中で深田清太郎の雑記帳を見て驚く場面がありますが、そこに書かれていたのはその父の名と、あらすじでは略しましたが住所でした。
「神奈川県久良岐郡西戸部村字蓮池」というその住所は、吉川英治自身が家の零落のため移り住んだ場所でもあります。
吉川英治の自叙伝「忘れ残りの記」によれば、元は戸部にあった監獄の官舎(この作品ではちょうどその時代を描いている)でしたが、吉川家が移り住んだ明治40年頃には、貧民街となっていました。

吉川英治が描く横浜には、そうした自身の体験が、どこかに少し出てきてしまうようです。

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2012年7月 4日 (水)

京都(1)

次にご紹介するのは、これ。

京都も作品数が多いので避けていたのですが、まあいいでしょう。

「吉野太夫」

六条柳町の扇屋の二代目吉野太夫は名妓として知られているが、いまは特に鷹ヶ峯の常照寺の総門を一人で寄進するというので、すっかり時の人となっている。
その吉野の実父である松田武右衛門は、鍛冶屋の駿河介を仲介として借金をしており、その返済に困っていた。
世間では総門寄進の吉野太夫の父となれば、いつでも金の工面は出来るものと見ていたが、実際には生活苦から娘を売ったに過ぎず、その暮らしは相変わらず苦しいものだった。
駿河介から借金の返済を強く求められた武右衛門は十日の猶予を願うが、結局十日後になっても、金の工面はつかなかった。
ところが、駿河介の代理で返済を求めに来た駿河介の弟子の時安は、武右衛門にこう告げた。
借金は私が奉公の間に貯めたお金で返済しておいた、その代りに吉野太夫への紹介状を書いてもらえないだろうか、と。
さて、当の吉野だが、いま苦悩の中にあった。
七分通り完成している総門の建築費が底をついてしまい、あと千両必要なのだ。
その千両を求める相手は、彼女を身請けしたいと申し出ている近衛応山か灰屋三郎兵衛かとまでは心を決めているものの、決断を下しかねていた。
そこへ、吉野に会いたいと武右衛門の紹介状を持って時安がやってくる。
店の者に足蹴にされながらも、必死に面会を請う時安の姿に、吉野はつい彼を部屋に通すことにする。
虚像に過ぎぬ≪吉野太夫≫としての自分に、これほどまでに思いを寄せてくれる者がある、ということに心動かされた吉野は、密かに恋慕の心を抱いている三郎兵衛へ手紙を書く。
それからしばらく後、身請けされ三郎兵衛と暮らす吉野の姿があった。
とは言え、灰屋の一族からは結婚を反対され、灰屋の家には入れぬまま、市中に家を求めての暮らしであった。
しかし、吉野の真心が通じ、灰屋の一族から正式に三郎兵衛の妻と認められることになった。
その同じ日、三郎兵衛と暮らす家の近くで、一人の男の溺死体が揚がった事を吉野は知る。
それは両替屋に盗みに入った挙句、逃げ切れなくなって川に飛び込んだ時安であった。

初出は昭和12年1月20日発行の『週刊朝日 新春読物号』。
最新の単行本は「吉川英治時代小説傑作選 吉野太夫・雲霧閻魔帳」(学研M文庫 2002年12月16日)になります。

この作品は山本富士子が舞台で繰り返し演じていますが、昭和45年に放送されたテレビドラマでも、やはり山本富士子が吉野を演じています。

ある時代の日本における美人の象徴だった方ですから、はまり役と言えばはまり役ということになります。

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2012年7月 3日 (火)

江戸(1)

次はこれ。

東京は作品の数が多いので、多摩と江戸府中に分けると前に書きましたが、それでもなお多いので、しばらく手を付けないつもりでいましたが、まあ、いいでしょう。

「牢獄の花嫁」

かつての名与力・塙江漢は、今は役職を退き、長崎へ蘭医学を学びに行っている息子・郁次郎が帰れば、許婚の花世と祝言を挙げさせ、養生所を開くことを計画している。
そんなある夜、南町奉行所同心の浪越八弥と加山耀蔵は塙江漢の隠居を惜しむ会へ向う道すがら不審な人影に出会う。増上寺の御霊廟の裏から現われたその男は、鎧櫃を背負った大男であった。
格闘の末に男を捕らえ、奉行所に連行し、鎧櫃の中を改めてみると、そこにはなぜか人差し指だけが切り取られた若い女の死体が入っていた。
奇怪な事件に遭遇した担当の与力・東儀三郎兵衛は引退した江漢に意見を求め、江漢も策を授けるが、相談役にという依頼には自分は隠退した身とこれを固辞、代りに推薦したのがたまたま江戸表に出て来ていた大坂の与力・羅門塔十郎であった。
やがて江漢の策によって女の身元が笛師の鷺江雪女と知れる。
しかし、あろうことか、羅門と東儀の探索により、江漢の息子・郁次郎が雪女と関係があることが知れ、雪女殺しの容疑者とされてしまう。
その郁次郎は既に江戸に戻っているにもかかわらず、なぜか江漢の元には姿を見せず、人目を避けているうちに江の島神社にまでやって来ていた。
その江の島の巫女・直美の手の中指を見た郁次郎は戦慄する。その指は許婚の花世と同じようにおはぐろで染められた黒い爪をしていたのだ。
しかし、その直美が中指を切り取られた死体となって見つかるのと前後して、羅門の手によって郁次郎は捕縛されてしまい、直美殺しの疑いまで掛けられてしまう。
郁次郎の逮捕を知った江漢は、必死の懇願により、処刑まで百日の猶予を与えられ、老骨に鞭打って息子の冤罪を晴らそうと捜査を開始する……

というストーリーです。

事件の裏にあるのは、亀山藩の世継ぎ問題。
藩主・松平龍山公には世継ぎとなる子が無かったが、実は江戸出府中に妾に産ませた男子がいた。
その子は武家に養子に出され、その後四人の娘をもうけたが、ある諍いから切腹、娘たちは離散してしまった。
その娘たちは後の目印にと爪をおはぐろで黒く染められていた。
羅門塔十郎は、与力としての才を買われてその娘たちの行方を探索していたが、やがて悪心を起して亀山藩家老の大村郷左衛門と結託、四人の娘を殺害し、自分の情婦である玉枝を替え玉にして藩を乗っ取ろうと企んだ。

という訳で、陰謀を隠して全てを郁次郎の罪にしてしまおうとする羅門と、息子の無実を信じる江漢の戦いが繰り広げられるということになります。
もちろん、江漢がその才能に信を置いた羅門が真犯人であることは、土壇場まで伏せられますが、現代の読者なら読み進むうちに割と簡単に犯人の目星はつくでしょう。

初出は『キング』昭和6年1月~12月号。
「吉川英治歴史時代文庫」の第9巻に入っていますので、現在でも購入可能です。

なお、「牢獄の花嫁」についての裏話として、こんなことを書いたことがあります。
そちらもご参照を。

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2012年7月 2日 (月)

岡山(1)

続いてはこの作品。

「玉堂琴士」

備前岡山藩の支藩・鴨方藩の藩士・浦上兵右衛門は、文人画家浦上玉堂としても知られる。また、琴を愛したことから玉堂琴士とも名乗った。
今は役職から引退している兵右衛門と、その長子の紀一郎を悩ませる問題があった。
娘のお之(ゆき)が、不義密通の末、私生児を生んだのだ。
今は表沙汰にならぬようにしているが、藩主にまで事が知れてしまえば、家名断絶は避けられない。
兵右衛門を慕う藩士たちは心配し、身内からは事が知れる前にお之を斬れと迫られるが、兵右衛門は「わしの家、わしの娘じゃ」と動じない。
その姿に、紀一郎は自分が家を守らねばと、姉を斬ろうとするが、その行方がわからない。
探しあぐねて帰宅すると、そこには旅装をした兵右衛門がいた。
家名を捨てての脱藩であった。
兵右衛門は琴を、紀一郎は先祖と母の位牌を、その他には牛の背にお之の子を入れた籠とつづらが結わいつけられているだけのわずかな荷物で脱藩してゆく一行。
彼らが国境にたどり着いた時、待ち受ける数人の武士の姿があった。
紀一郎は追っ手かと緊張するが、武士たちは兵右衛門を慕う者たちの尽力で藩主が寛大な措置を取ったことを告げ、餞別だと言って一人の男の身柄を彼らに預ける。
立ち去ろうとする武士たちを呼び止めた兵右衛門が名残に奏でる琴と詩に涙する男。
その男の前に、つづらの中に潜んでいたお之が姿を現す。

初出は『オール読物』昭和9年1月号。
単行本の最新のものは「吉川英治全集47 短編集1」(昭和58年10月 講談社)ですが、平成4年6月発行の『オール読物増刊 名作時代小説30選』にも収録されています。

浦上玉堂は実在の人物で、確かに50歳の時に鴨方藩を脱藩し、以後、流浪の生活を送っています。

ただ、作品の末尾に「作者附言」という一文を加えていて、そこで「玉堂研究家諸氏の指摘あらんかと思って」として、これは小説として書いたものだと述べています。
特に、作品の冒頭に司馬江漢が浦上玉堂を訪ねてくる場面があることから、玉堂の脱藩と江漢の西遊の年次が合わないことは知った上で書いていることを強調しています。

小説としての効果を優先し、時代考証は敢えて無視しているので、そこは受け流してくれ、ということでしょう。

当時よりは時代考証に対する知識も意識も向上している現代の読者は、このあたり、どう感じるのでしょうかね。

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2012年7月 1日 (日)

神奈川(2)

昨日触れた、テレビドラマ化された吉川作品の中に出てきた作品をご紹介してみましょう。

まずは「旗岡巡査」です。

水戸藩内も出てきますが、主たる事件は横浜で発生するので神奈川に含めます。

「旗岡巡査」

桜田門外で井伊大老を襲撃した水戸藩士の一人、海後磋磯之介は下総松戸の宿で追っ手を避けて権十・お松父娘の醤油船へ逃げ込む。
狼狽する権十だが、お松は躊躇いもなく磋磯之介の怪我の治療をする。
船はやがて関宿の河番所に到るが、お松の機転により無事に通過、磋磯之介は生きて水戸藩に戻ることができた。
磋磯之介は神主である兄の粂之介のもとに匿われたが、その粂之介を頻繁に訪ねてくる女がいた。
磋磯之介に思いを寄せるお那珂であった。
磋磯之介への思いと自らの縁談の狭間で思い悩むお那珂は、どうしてもここに足を運ばずにはいられなかったのだ。
だが、あることから磋磯之介が神社に匿われていると確信したお那珂は、そこにいる磋磯之介に会わせてもらえないことに対し、自分の思いが裏切られたように感じて、縁談を受け入れた上に、代官所に密告をする。
かろうじて難を逃れた磋磯之介は、信じていたお那珂が自分を密告したことに衝撃を受けながら、他国へと落ち延びて行った。
さて、時は明治9年、茨城県結城警察屯所の巡査、旗岡剛蔵はとある犯罪者の追跡のため刑事とともに横浜へと出張してきた。
目当ての犯罪者が見つからないため、漠然と街を巡回する旗岡巡査だったが、そこに血相を変えた女がやって来て、殺人事件の発生を伝える。
生糸の仲買人の男を、その妾が拳銃で撃ち殺したというのだ。
管轄が違うし任務もあると渋る旗岡巡査だったが、女の勢いに押されて、現場に駆けつける。
現場となった妾宅の表札を見て、旗岡巡査はあることを思い出す。
そこに殺された男の本妻が現われるが、その姿を見て一瞬硬直する旗岡巡査。
実は、旗岡剛蔵とはかつての海後磋磯之介であり、偶然にも殺された男の妻はお那珂、妾はお松の今の姿なのであった。
一人で殺人犯の捕縛に向ったふりをして、お松と二人きりになった磋磯之介は、お松と語らいたい気持ちを抱くが、お松は拳銃で自ら命を絶ってしまう。
その十分後、元の任務に戻り、街頭で黙然と見張りをする旗岡巡査の姿があった。

短編のわりに長々とあらすじを書きましたが、それはこの作品が私の好きな作品だからです。
決して要約する能力がないからじゃありません……と思います。

初出は『週刊朝日』昭和12年初夏特別号。
「吉川英治歴史時代文庫76 柳生月影抄 名作短編集(二)」(講談社)に収録されており、現在も購入可能です。

海後磋磯之介は実在の人物で、桜田門外の変の後、実際に明治の世まで生き残り、警視庁などに勤務の後、神職となり、明治36年に76歳で没しています。

前半生で関わった二人の女が、同じ男の本妻と妾であったというのは、もちろん小説上のご都合主義ですし、旗岡剛蔵=海後磋磯之介のキャラクターも創作されたものでしょう。

ただ私は、「真実は皆死んで行った」と全ての感動を喪失した旗岡巡査の、幕末に多くの血が流されたのはこんな世の中のためだったのかという懐疑の念に、どこか共感を覚えるのです。

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2012年6月11日 (月)

ことわり屋

昨日リンクをつけた先は、以前書いた吉川英治作の≪新作落語≫のひとつ「夢ビル」のあらすじをご紹介したページでした。
私はこの作品を広い意味でSFの一種と捉えているので、「日本SFこてん古典」の編者である横田順彌氏には、どうせならこの作品に目を留めて欲しかったという意味でリンクをつけたものです。

さて、吉川英治の新作落語と言えば、これまた更新をサボっている間に終わってしまったイベントの一つが≪草思堂落語会≫です。
連休直前の4月28日に開催しました。
今年も演者は柳家禽太夫師匠でした。

例年、若手の噺家さんと禽太夫師匠の2人で3本やっていただき、そのうちのひとつに吉川英治の新作落語をやる、という形でやっています。

今回やっていただいた吉川英治作の新作落語は「ことわり屋」でした。
実は、昨年も演じていただきましたが、口演するには作品が短かいということで、古典落語を演じる前に枕的にちょっとやってみる、という形でした。
今回はそれを改めて本編として演じてくださいました。

無職の熊さんは、ご隠居から新商売≪ことわり屋≫をやってみないかと持ち掛けられる。
要するに、借金取りの断りなどの厄介なことを、本人に代わって断ってやり、いくばくかお代を頂戴しようという商売だ。
これなら身体ひとつあれば簡単に始められると言うので、熊さん、早速、「ことわり屋~、断り~」と街を流し始めるが、持ち込まれるのはおかしな仕事ばかりで……

という内容の話です。

ところで、今回の落語会では、若手として前座の林家なな子さんがいらっしゃいました。
林家正蔵師匠のお弟子さんだそうです。
名前の通り女性です。

女性とは珍しいと思い、打ち上げの席で色々聞いてみようと考えていたのですが、打ち上げには参加せずにお帰りになりました。
なんでも正蔵師匠の一門では、前座のうちは打ち上げなどの席には参加させない、酒を飲ませない、という決まりがあるのだそうです。

それを意外と言っては失礼なのでしょうね。
どうも、「こぶ平!」と呼ばれて、バラエティ番組でいじり倒されていた頃の姿が浮かんでしまうので、ついね。

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2012年6月10日 (日)

青空士官

これまた更新をサボっている間に、イベントが一つ終了してしまいました。

実は5月12日~25日に東京駅近くの八重洲ブックセンター8階ギャラリーで小規模ながら「没後50年記念 読み継がれる吉川英治文学」展を開催していたのです。
本格的な展示というよりも、出張展示という感じのもので、ご覧になった方が興味をもって吉川英治記念館まで足を運んでくれれば良いな、という企画です。

会場側からの要望もあり、会場の監視係はこちらで出すことになり、私も会期中何日か八重洲ブックセンターに出向いたのですが、何しろ場所が書店です。
合間合間に店内をウロウロして、何冊も本を買ってしまいました。

そのうちの1冊が横田順彌「近代日本奇想小説史 入門編」(2012年3月24日 ピラールプレス)。
この中の『近代日本奇想小説史番外編 児童向け戦後仙花紙本の奇想小説』という章の中に、吉川英治の「青空士官」が取り上げられていました。

さて、この作品をどういう観点で取り上げたのか、その内容をどう紹介しているのか、というと、「短篇戦争小説集」「三十八篇のショートショート集」「スパイ小説や世相風刺小説なども数篇含まれている」という文言が文章中に並んでいます。

あれ、「青空士官」というと、吉川英治には珍しい現代小説で、新聞社の伝書鳩係として仮採用された青年が、恋人とのすったもんだの末に、特ダネをものにして新聞社に本採用され、自身も恋人と結婚する、といった内容の小説のはずだけどな、横田氏が取り上げている昭和22年の早川書房版は編集が違うのだろうか?

ちょっと不可解だったので、現物を書庫から出してきて読んでみました。

小説の内容は私の記憶通りで、また、これ1冊が全て「青空士官」に当てられていて、短編集などではありません。

大体、「青空士官」は、『婦人公論』の昭和10年1月号~12月号に1年間連載された作品なので、短編ではないのです。
それに、上に書いたように、新聞社の伝書鳩係の話で、それゆえにタイトルが「青空士官」なのであって、戦争小説でもありません。

横田氏の本は何冊か読んでいて、大学生の頃にちょっとした講演も聴いたことがあります。
吉川英治の遠縁にあたる人物で攻玉社の創立者である近藤真琴が翻訳した「新未来記」が、日本初の翻訳SF小説と言われていることを知ったのも氏の著書によってでした。

しかし、これはいただけません。

目次が16項目に分かれ、小見出しが38あるというところまで細かく書いているのに、どうしてこんな勘違いをしたのでしょうか。
不思議なことです。

それにしても、どうせ吉川英治に目をつけるなら、横田氏にはこの作品あたりを取り上げてもらいたかったですね。
ペンネームが違うので気づかないかもしれませんが。

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