2015年10月31日 (土)

訃報・中一弥氏

昨年の吉川英治文化賞受賞者である中一弥氏がお亡くなりになりました。

ほんの2週間前に、当館で「吉川英治賞受賞作家を囲むひととき」でご講演いただいた逢坂剛氏の御父君でもあります。

逢坂氏の講演の際に、「中先生は吉川作品の挿絵も何作か担当されていますが、何か吉川英治の印象など話しておられませんでしたか?」という質問をしました。
「吉川さんの挿絵を描いていたのは知りませんでしたので、特に聞いたことはなかったですね」というお答えだったのですが、これで二度と聞く機会を逃したことになります。

ちなみに、中一弥が担当した連載挿絵は

「自雷也小僧」(昭和10~12年 小林秀恒と共同)
さむらい行儀」(昭和13年)
夕顔の門」(昭和13年)

の3作品です。

ご冥福をお祈りいたします。
長い年月お疲れ様でした。


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2015年4月12日 (日)

平成27年度吉川英治賞贈呈式(2)

承前。

吉川英治文学新人賞の西條さんは、作家にいたる経歴に触れて、「最初は翻訳家を目指したが、他人の文章を書き写すのが性に合わなくて、だったら自分で書いた方がいいと思った」というようなことを話されましたが、その感じ、よくわかるなぁと思いました。
他人の“てにをは”の選択が、どうにも釈然としない時ってありますもんねぇ、普通に読書していても。

吉川英治文化賞の遠藤さんは、史上最短に近いスピーチだったんじゃないでしょうか。

「私はただ毎年遺骨収集に行っただけです。(こんな賞をもらってしまって)すみません」

それだけでした(うそです、もう少し丁寧に、かつ、すみませんを3度ほど繰り返されました)。
1分かかってないんじゃないでしょうか。

同じく文化賞の野口さんは、選考委員の阿川佐和子さんから、名前を呼び間違えられた上に、「今年の受賞者の中では最年少の50代」とボケをかまされてしまいましたが(実際は72歳)、それを受けて「今日は髪を染めてきました」と返しておられました。
こういう明るさがないと、残せない業績だなと思いました。

日置さんは、「続・国史大年表」の原稿を示しながらスピーチをなさいました。
それが、原稿用紙ではないB4の紙に、付箋が上下左右に無数に張り付けられた原稿で、これは多くの編集者が尻込みするのも当然だな、と感じました。
そこを敢えて出版した国書刊行会はすごいですね。

日吉さんは、御年100歳ということで、お孫さんが代理出席なさいました。
ちなみに、昨年の受賞者の中一弥さんは受賞時に103歳で、最高齢の受賞者となりましたが、2年連続で100歳越えとは、すごいですね。

最後に、来年の吉川英治賞50周年を機に新たに、吉川英治文庫賞を創設することが発表されました。

これは、従来、文学賞の選考からは漏れてしまいがちなシリーズ作品を対象とした賞です。
対象となるのは、「複数年にわたり、5巻以上の複数巻で文庫刊行されている大衆シリーズ小説とその著者」ということになっています。

ちなみに、難癖をつけるわけではありませんが、吉川英治には、そうしたシリーズ作品はありません。
残念。

それと、本賞が第50回の時に第1回ってことは、以後、第51回の時に第2回、第52回の時に第3回となってしまうので、なんか数字がずれてて、すごく引っかかってしまいます。

細かいな(笑)

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2015年4月11日 (土)

平成27年度吉川英治賞贈呈式(1)

昨日は吉川英治賞の贈呈式でした。

いや、贈呈式の前に、賞の発表があった時に受賞者の皆さんのご紹介をしなかったので、改めてご紹介します。

○第49回吉川英治文学賞

「平蔵狩り」(文藝春秋刊) 逢坂剛

○第36回吉川英治文学新人賞

「まるまるの毬」(講談社刊) 西條奈加

○第49回吉川英治文化賞

遠藤尚次(元シベリア抑留経験者が20年以上、ロシアで戦友たちの遺骨収集を続ける)

野口義弘(20年以上、非行少年・少女126人を雇用し、自立・更生を支援する)

日置英剛(半世紀にわたり「読む年表」、『新・国史大年表』の執筆・編纂を続ける)

日吉フミコ(水俣病の患者、被害者支援組織を立ち上げ、47年にわたり奮闘する)

以上の6名の方々が受賞されました。

逢坂さんは昨年吉川英治文化賞を受賞された挿絵画家の中一弥さんのご子息で、それぞれの活動によって親子が別々に吉川英治賞を受賞された初めてのケースとなります(同じ活動に対して親子同時に受賞された例はあります)。
ちなみに、雪崩の研究で吉川英治文化賞を受賞された高橋喜平さんと吉川英治文学新人賞と文学賞の両方を受賞された高橋克彦さんは伯父-甥の関係になります。

選考委員の北方健三さんが「逢坂さんが候補に挙がっているのを見て、もう受賞しているものだと思った」ということを言っておられましたが、逢坂さんと北方さんは同じ大学の先輩-後輩にあたるそうで、今回は後輩が先輩の選考をすることになったそうです。

なお、詳細は後日公開しますが、例年行っている「吉川英治賞受賞作家を囲むひととき」の今年の講師は、逢坂さんにお願いし、ご承諾いただいております。

長くなるので、以下次項。

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2013年4月13日 (土)

平成25年度吉川英治賞

去る4月11日に、吉川英治賞の贈呈式がありました。

発表の際に記事にしなかったので、ここでご紹介しておこうと思います。

第47回吉川英治文学賞
小池真理子「沈黙のひと」(文藝春秋刊)

第34回吉川英治文学新人賞
伊東 潤「国を蹴った男」(講談社刊)
月村了衛「機龍警察 暗黒市場」(早川書房刊)

第47回吉川英治文化賞
片野清美(東京都)=夜間保育園を続けて30年以上、小学生対象の学童クラブも創設する。
杉浦銀治(東京都)=炭焼きを国内外の土壌改良に利用、地球環境保全に役立てる。
二宮康明(神奈川県)=45年間、紙飛行機を通じて科学の楽しさを伝え続ける。

個人的な思い入れを述べさせていただくと、私自身も子供の頃に作ったことのある「よく飛ぶ紙飛行機」シリーズの二宮さんが受賞されたのは、とてもうれしく思いました。
もっとも、当時小学生だった私は、なかなかうまく作れず、思うように飛んでくれなくて、悔しい思いをしたのですが。
それだけに、贈呈式の中で二宮さんがデモンストレーションとして自作の紙飛行機を飛ばされた時には、とても感動しました。

お一方にだけ言及しては、公平を欠くのですが、お許し下さい。

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2013年2月21日 (木)

百歳

2月19日付の読売新聞に「医療ルネサンス 百寿者に学ぶ」という記事がありました。
その記事に現在106歳の昇地三郎さんが取り上げられていました。

あれ、どこかで聞いたような名前だな?と思い、よくよく考えてみると、吉川英治賞受賞者の方でした。

昭和55年(1980)に第14回の吉川英治文化賞を露子夫人とともに受賞されています。

ちなみに、その時私は中学3年生で、もちろん吉川英治記念館には勤務していませんから、書類上でしか存じ上げません。
ただ、特徴的なお名前だったので、かすかに記憶にありました。

しかし、受賞当時既に73歳だった昇地三郎さんが、ご健在だとは、失礼ながら、意外でした。
しかも、「公共交通機関を利用して世界一周した最高齢者」として、昨年ギネスブックに認定されたのだとか。

すごいですね。

ちなみに、吉川英治文化賞の受賞理由は「二十五年にわたり、夫妻協力して心身障害児教育に挺身し、『早期発見』『早期教育』にすぐれた効果をあげている」というものです。
もちろん25年というのは、受賞時点での話。
現在のお立場は記事からは分かりませんが、その後33年も経っているわけですから、その功績は半世紀以上に及ぶということになります。

いや、本当にすごい。

ただ、残念なのは、昇地さんの吉川英治文化賞受賞後の足取りを知りたいと思ってアクセスしたWikipediaの記述に、吉川英治文化賞受賞のことが一言も触れられていないこと。

なんだかちょっと惜しい気持になってしまいますね。

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2012年6月 3日 (日)

映像と文学

さて、昨日触れた吉川英治賞の贈呈式に出席すると、冊子になった要項が配布されます。

そこには受賞のことばや選評が掲載されているのですが、ちょっと興味深い一節がありました。

吉川英治文学新人賞の選考委員である浅田次郎さんが選評の中で、候補作になりながら落選した「ジェノサイド」(高野和明)について

しかし、これほど映像性を追求した作品が、はたして文学賞にふさわしいかどうか。つまり小説そのものについての議論というより、文学観によって評価が分かれたと言っていい。小説と映像はまったく異なった表現手段であり、手法上の融合も親和もありえないという持論から、私は推さなかった。

と書いておられます。

一方、やはり吉川英治文学新人賞の選考委員である大沢在昌さんは

映画的と評する声もあるが、「映画のように」小説を読ませる力は、誰しもがもちうるものではない。なぜなら「ジェノサイド」は、シナリオではなく、大作映画を観たと思わせるほどのイメージ喚起力をもっていたからだ。

と、推しておられます。

これを読んで、思い浮かべた文章があります。

私の書く物は初めから映画を意識して書いていると誰かがやや批難した口吻でいったことがある。
(略)
どう書いたって、小説なら、小説であればいいのだ。そして、少なくも大衆の求望に関心をもって、また、時代人の感覚を、小説機構のうえに考えて、ものを書くとすれば、小説が、そのテンポを、表現を、映画的にリズムを持つのは、当たりまえ過ぎるほど、当たりまえな現象であろう。

誰あろう、吉川英治の文章です(随筆「映画」)。

もっとも、吉川英治は映画的であろうと意識したのではなく、大衆に対して大衆のための作品を作ろうと考えれば、小説も映画も似たような表現が現われるのは当たり前だ、というふうに続けています。

ちなみに、この随筆の中で吉川英治が問題にしているのは≪心理描写≫です。
人間同士が面と向かった時には、何の説明もなく相手の心理を感得するのに、小説では会話の中にいちいち心理描写がうるさく入ってくるというのは冗漫だし、賢明な表現法ではないと批判しています。

「たくさんな行数を、心理描写などに費やさないで、もっと、ぴんと感じるような表現を」と吉川英治は書いていますが、それを求めた結果が映画的テンポになっている、ということなのでしょう。

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2012年6月 2日 (土)

継続は力なり

ブログを更新せずにいた間の4月11日に、吉川英治賞の贈呈式がありました。

そうそう、そもそも今年の吉川賞の発表の際に受賞者の紹介をしませんでした。
いまさらですが、こちらをご覧下さい。

さて、贈呈式の際に、吉川英治文学賞を「大江戸釣客伝」で受賞なさった夢枕獏さんが、「脳は筋肉である」と前置きをして、こんな話をされました。

以前、50歳になったら仕事を一切断って、一年間釣り三昧の生活をしようと考えていたが、結局実現しなかった。
そこで60歳になったら、今度こそ、一年間釣りばかりしていようと決意した。
実は去年60歳になったけれど、釣り三昧は実行しなかった。
それというのも、サッカーのカズこと三浦和良選手が、40代半ばになった今も現役でいるために厳しいトレーニングや節制をしていることについて、「一日でもトレーニングを休むと、今の肉体が維持できなくなるのではないかと思うと怖いから」と言っているのを聞いて、「一年も仕事を休んで、今と同じペースで執筆ができるだろうか」と自問したら、怖ろしくなったからだ。
脳も筋肉と同じで、使い続けていないと衰えてしまうものだ。

なんともワーカホリックな日本人らしい発想とも言えますが、確かに、このブログでも一旦サボったばっかりに、なかなか以前のように毎日更新することができなくなってしまいました。

いや、作家の仕事と、こんな学芸員の余技を一緒にしてはいけませんが。

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2011年3月 8日 (火)

平成23年度吉川英治賞が決まりました

既に報道発表されていますが、本年度の吉川英治賞各賞が以下のように決まりました。

◎第45回吉川英治文学賞

森村誠一 『悪道』(2010年8月 講談社刊)

◎第32回吉川英治文学新人賞

辻村深月 『ツナグ』(2010年10月 新潮社刊)【「辻」は正しくはしんにょうの点が二つ】

◎第45回吉川英治文化賞

宇梶静江(「古布絵」の創作や絵本の出版を通し、失われ行くアイヌ文化の伝承に努めるほか、海外との文化交流にも尽力。)

木村若友(長年にわたり、浪曲師として活躍し、後進の指導と日本の伝統文化の継承に務める。)

具志堅隆松(沖縄において、開発・市街化が進み、時間との戦いの中で、遺骨収集を市民とともに続けている。)

斎藤晶(山地牧場で自然に順応した「蹄耕法」による大地に根ざした酪農を実践。また、広く市民に開放し交流の場として提供。)

笹本恒子(長年にわたり、女性報道写真家として“時代”を撮り続け、多くの貴重な作品を発表し、現在も精力的に活躍を続ける。)

皆さん、おめでとうございます。


なお、当館では毎年「吉川英治賞受賞作家を囲むひととき」というイベントを秋に開催しておりますが、今年は文学賞受賞の森村誠一さんを講師にお迎えする予定です。
詳細や応募方法は夏頃に発表いたしますので、しばらくお待ち下さい。
お楽しみに。

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2010年9月16日 (木)

塩屋賢一さん

塩屋賢一さんが去る12日にお亡くなりになっていたことを報道で知りました。

塩屋さんは、報道にもあるように、日本初の国産盲導犬の育成に成功し、以後、その普及に尽力されてきた方です。
その功績に対し、昭和57年、第16回吉川英治文化賞を差し上げています。

平成8年に当館主催で、吉川英治賞30周年の記念講演会を青梅市民会館で行った際、講師としてご講演いただきました。

その時に、お話しになったことで印象に残ったことは、「盲導犬と言うと、犬の方に視点がいってしまう。しかし、自分の仕事は、犬を育てる仕事なのではない。目が見えない方々が安全に外出できるよう手助けをする、自立のお手伝いをしているのだ」ということでした。

また、盲導犬を見かけた時に、「あら、お利口ねぇ」などと犬の方に声をかけるのではなく、その盲導犬を使っている目の不自由な方の方にこそ声をかけて欲しい、ともおっしゃっていました。

何年か前に盲導犬を取り上げた映画がヒットしました。
それによって盲導犬への理解が進んだ面はあると思いますが、同時に、ヒットしたこと自体には、登場する犬が可愛いという感情が影響した部分が大きかったでしょう。

塩屋さんにご講演いただいたのは、それよりも前の話ですが、犬が可愛い、という気持ちではなく、目が不自由な方への思いやりを持って欲しいということを、塩屋さんは訴えておられたわけです。

言葉として普及しているとは言い難い面がありますが、塩屋さんの主宰する団体が東京盲導犬協会から≪アイメイト協会≫に改称したのも、上記のような考え方に立ち、盲導犬という犬ではなく、アイメイト=目の仲間なんだという思いがあったからでしょう。

ご冥福をお祈り申し上げます。

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2010年5月30日 (日)

飯田訪問――その2

せっかく飯田を訪ねたので、りんご並木を見に行きました。

飯田市は、昭和22年の大火で町の多くを焼失しました。
そこからの復興の際に、そのシンボルとなったのがりんご並木です。

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案内板にもあるように、そのりんご並木の手入れを長年続けてきたのが飯田東中学校です。
実は、そのことに対し吉川英治文化賞を差し上げています(昭和59年度 第18回)。

これがそのりんご並木です。

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りんご並木の合間には、岸田国士や飯田出身の日夏耿之介の碑があります。

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そのまま歩いて飯田東中学校の様子を見に行こうと思っていたのですが、川本喜八郎人形美術館で、つい長話をしてしまったため時間がなくなってしまい、そこまで足を運べませんでした。

残念。

ちなみに、こちらもご参照を。

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